top of page

常に瞳孔が開いていたような気がする。

目に飛び込んでくる鮮烈な光、耳に入る異国の言葉、体を包む空気全てが、鋭い刃の束となって全身を容赦なく突き刺してくる。

めまぐるしく脳内に流れ込んでくる景色の波を受け止めることができず、平静を保とうと小さな窓の中に縮小された景色を見つめ、シャッターを切って自意識を繋ぎ止めることに必死だった。だが、カメラは感情を持たない。高揚が収まらない私をよそに、チッという軽い音を立てて、淡々と光を集めている。

旅を追体験するように写真を1コマずつ眺めていると、私がそこで見たものとカメラが写したものには大きなズレがあった。カメラによる写真的なものの見方や要素は、私が見たと思っていたものとは別の景色を提示し、撮る行為と見る行為は全く別物だと痛感させられた。

旅の中で写真を撮る行為には記憶をより強固にするという目的があるだろう。

私もがむしゃらに見えるもの全てを記録しようとした。しかしカメラは、自分の中に潜む可能性を具体化し、記憶以上の新たな景色を提示してくれた。

bottom of page